石井十次先生を知って

高鍋東小学校 5年 松浦百花

 私は昨年1年間「明倫塾」に入って高鍋町の歴史や偉人について学習してきました。そこで石井十次先生について学ぶことができました。十次先生は、まだ「社会福祉」という言葉すらなかった時代に、生活に困った子ども達のために一生をささげた方です。

  十次先生は、最初は医者を目指していたそうです。でも、その医者という夢よりも、生活に困った子ども達のために一生をささげるとちかったのです。この決断は大変だったと思いますし、相当悩んだことだと思います。

 私は、十次先生がなぜこんなに大変な覚悟ができたのか考えてみました。十次先生には三つの強さがあると思いました。1つ目は、「決断力」です。十次先生は何もかもやろうとするのではなくて、自分の体は1つしかないのだからと1つにしぼってやりとげようとしました。その一つのことをやりとげようという「決断力」はすごいと思います。

 2つ目は、「思いやる心」です。十次先生は生活に困っている子ども達に対して常に優しさをもって接していました。人を思いやる心がないとできないことだと思います。

  3つ目は「行動する力」です。十次先生は決めたことに向かってすぐに取りかかりました。この力もすごいと思います。

   この3つの力で十次先生は日本で初めて「孤児院」をつくり、約1200名ほどの子ども達と一緒に生活をしました。東小児童数の約2倍をこえる数の子ども達とです。

 私は、週に1回クラス全員で唱えている新明倫の教えの中の一つを思い出しました。「年上をうやまい。同年と親しみ、年下をいつくしみます。」この教えが日本で最初の孤児院をつくり長く続けられた心なのだと思います。

 私は、4年生の3学期に2分の1成人式をするために夢の作文を書きました。そのときに自分の夢について考えました。私の夢は「デザイナー」になることです。その夢を叶えるためには、十次先生の三つの強さが必要です。

 私は十次先生が、むずかしくても新しい道を選んだように、たとえ前に進まなくなったことがあったとしても、まだまだがんばるぞという気持ちで勉強などに取り組み、夢をつかもうと思います。

 そしてこれからも十次先生のように人を大切にしていこうと思います。

 

石井十次先生について

高鍋西中学校 3年 野崎健人(たける)

 みなさんは、「最初の孤児」の話は知っていますか。「最初の孤児」の話とは、石井十次先生がある2人の子どもと出会うことから始まります。母親とお遍路をしていて、何日も飲まず食わず腹が減っているその子らに、石井十次先生がにぎり飯をあげました。2人の母親がこのままでは、親子共に飢え死にしてしまうと思い、「1人の子を預かって頂けないでしょうか」と頼みました。石井十次先生は、「すべては神の御心のままに。この子を引き受けましょう。」と快く預かりました。この兄妹の一人がやがて岡山孤児院へと発展する施設の一番目の入所者となりました。それが、石井十次先生の孤児救済の第一歩と言われています。

 石井十次先生は生涯を孤児救済に捧げる決断をされました。医師を志していた十次先生にとってこの決断は、とても難しかったと思います。自分の気持ちだけでなく、家族の理解を得ることも大事でした。またどんどん増えていった子どもを預り育てるのはとても大変だったと思います。子どもが病気にかかり亡くなった時など大きく悲しんだと思います。それでも孤児救済し続けられたのは石井十次先生の強い気持ちがあったからこそだと思います。また、たくさんの子どもを預かることができたのは。石井十次先生がいろいろな人に信頼されていたからだと思います。

 僕は、小学6年生の時に劇で石井十次先生役をしました。演じていく上で感じたことは、石井十次先生は、お母さんが織ってくれた自分の大切な帯を縄の帯しかない困っている友人に譲ってあげることのできるとても優しい人であるということです。また、自分のために帯を織ってくれたお母さんを気遣うこともできます。でもそんな石井十次先生の行動をお母さんは褒めてくださいました。石井十次先生が子どもの頃から優しく、ボランティア活動を始めているのは、お母さん、お父さんのおかげでもあると思います。僕は、石井十次先生のような人になりたいと思います。今僕にできることは、トイレのスリッパを並べたり、ゴミを拾ったりするなどの小さいことの積み重ねですが、周りの人が気付かないようなことでも継続していきたいです。

 最後に、石井十次先生が残した言葉には、「信・愛・和」があります。「信は、お互いに信じ合えること。愛は、お互いに愛し合うこと。和は、仲良く支え合って生きること。」です。この3つの言葉を忘れずに生活していきたいと思います。

 

共生できる社会を目指して 

高鍋高等学校 3年 福島萌花

 みなさんは障がい者に対してどのような考えを持っていますか。大半の人は「かわいそう」「かかわらないでおこう」など私たち健常者は障がい者を知らず知らずのうちに分けて考えているのではないかと思います。しかし、そのような考え方が健常者と障がい者との間に壁をつくり、ときにそれが差別や偏見となって障がい者にとって暮らしにくい社会になっているのです。

 そこで今回、福祉という点で障がいに視点をおき、私が実際に行ったボランティアでの体験を通して感じたことを、健常者である私たちがなすべき行動について発表したいと思います。そして一人でも多くの人に障がいについて知ってもらえることを願っています。

 私は夏休みに宮崎病院に併設されている障がい者施設「のぞみ病棟」でボランティア活動を行いました。きっかけは、中学生の頃に福祉体験として「のぞみ病棟」に行き、健常者は障がい者に対してある種の差別・偏見を持っていると感じたからです。そして、それらをなくそうと考え、健常者と障がい者の間に壁をつくらないと同時に「障がい」に対してもっと理解のある国づくりを行うこと。そのために私たち一人一人が立役者となることが必要だと思い、もう一度、障がいについて詳しく知るために、また、私の考えに確証をもつためにボランティアに参加しました。

 参加するにあたって、今後解決すべき課題とも言える、障がい者を対象としたボランティア活動を行っている団体が少ないという現状が浮き彫りになりました。実際、私もJRC部員とともに活動に参加しようと思った時、障がい者を対象としたボランティアが少なく、正直とまどいました。そのため私たちは自分たちで障がい者施設を調べ、ボランティアを行っている病院を見つけ、部員たちと話し合って日程や活動内容を決め、病院に直接問い合わせました。これらのことを経て、私たちはボランティア活動に参加することができました。 

 ここで、ボランティアの活動内容に入る前に、障がい者施設「のぞみ病棟」について少し紹介させていただきます。「のぞみ病棟」では重度の肢体不自由と重度の知的障がいとが重複した重度心身障がい者がそれぞれの持てる力を発揮して生き生きとすごしていくために、療育、活動を行っています。

   今回、参加させていただいたボランティアでの活動内容としては、大きく分けて通所施設に通っている方々との交流、季節行事の補助、食事介助の見学の三つを行いました。通所施設に通っている方々との交流では、車いすを押したり、手をにぎったりと普段できない体験をさせていただきました。保育士の方によるとボランティアで高校生や中学生が来ることはほとんどなく、入所されている方々もかかわる機会があまりないらしく、入所者の嬉しそうな笑顔が印象的で今でも忘れられません。また、私自身もその笑顔に元気をもらいました。その他の季節行事の補助や食事介助の見学でも職員の方々の気づかいや入所者の手が思いどおりに動かないながらも一生懸命自分で食べようとする姿に感銘を受けました。これらを通して私は多くのことを学びました。

  その中でも強く感じたのは健常者も障がい者もみな同じという事です。お互い、命の価値、そして心は何ひとつ変わりません。歩くこと、食事をすること、言葉を交わすこと、物事を考えることなど身体的または知的障がいのある人にとって困難な事を、健常者である私たちが日常生活をする上であたりまえのように行っているために、健常者と障がい者との誤解が生じ、予断と偏見が生まれるのだと思います。

  ですが、今回それらは決してあたりまえではないと確証をもちました。ですから私たちは障がい者にとって暮らしやすい社会になるよう全力でサポートすべきなのです。高校生でもできることはたくさんあるはずです。私は「のぞみ病棟」でのボランティアを通して障がい者と健常者との間にへだたりをつくってはいけないと強く実感しました。

  「信じて疑うことなかれ。祈りて倦むことなかれ。為せよ、屈するなかれ。時重なればその事必ず成らん」これは児童福祉の父と称された石井十次先生の言葉です。私は石井十次先生の行動力、そして困っている人に手を差し伸べることのできる優しさに強いあこがれを抱いています。これからもこの精神を基に、活動を続けていきたいと思います。