「孤児の父」を学んで

高鍋西小学校5年 岩田奈々

私は、今まで、孤児の父である石井十次先生の、人を思いやる優しい気持ちについてたくさん学んできました。最初は、石井十次先生は、三千人の孤児を救ったすごい人というイメージがありました。でも、十次先生の学習をするにつれて、最初は友だちへの優しい心から始まったことが分かりました。

私が、学習した中で、心に残ったことが二点あります。一点目は、十次先生の思いやりです。自分が大切にしていたものを、こまっている友だちにわたすまでの思いやりの心を持っている十次先生をそんけいします。二点目は、人のために何かをするということです。十次先生は、医者の夢をやめ、医学書を焼いてまで、孤児を救うと決め、一人の孤児から三千人までにおよぶ孤児を救って育てました。人のためにつくすという十次先生の心は、すごいものです。私も、ごみ拾いなどの小さなことから始めて、人のために何かをできるようにしたいです。

高鍋西小学校では、毎年、石井十次先生をしのぶ会が行われています。その会では、自分たちが学んだことを活かし、各学年が発表をします。そして、地いきの人たちに十次先生のすばらしさを知ってもらいます。

他にも、教室には明りん堂の教えもあります。そこに書かれている教えには、今の社会で大切な礼ぎの正しさや、人との関わりなどがあります。

このように、私は、十次先生から思いやりの心と、人のために何かをするという大切さを学びました。これからも、石井十次先生をしのぶ会で、地いきの人たちに十次先生の思いやりなどを知ってもらい、世界にまでこんなにすばらしい人がいるということを伝えたいです。そして、私たちは、明りん堂の教えを忘れず、集団生活をおくり、高鍋西小の校訓である、「信、愛、和」を大切にしていきたいです。みなさんも高鍋町と高鍋町のい人石井十次のことを、これからも大切にして、少しでも多く「石井十次の輪」を広めていきましょう。

石井十次先生から学んだ僕の決意

高鍋西東学校2年 友永策大

僕が石井十次先生を知ったのは小学生の頃でした。その時は「縄の帯の話」や「児童福祉の父」と呼ばれていたことなどから、心優しき、すばらしい人というイメージしかありませんでした。しかし、中学生になった今、「猪突猛進」とも言われた意志の強さこそ、十次先生の生き方を支えていたのだと考えます。急激に日本社会が近代化する中、どんな時にも信念を曲げず、自分を信じる道を突き進むのは、誰もが出来ることではないでしょう。僕も集団の中にいると、周囲の人と意見が違ったときに、自分の思いをしっかりと伝えることが出来ないことがあります。十次先生が、厳しい環境にありながら、多くの孤児のために全身全霊をそそぎ、孤児救済に生涯を捧げた意志の強さが大人になろうとする僕に強い印象を与えます。

さまざまな苦労を積み重ねながらも、その意志の強さが限りない優しさにつながったのは、両親の深い愛に包まれ、成長したからだと思います。しつけに厳しく、教育熱心な父、物心両面で手助けする優しい母、そんな両親の背中が十次先生の他を思う人格形成につながったはずです。

人は誰かに愛され、必要とされれば心豊かに成長するのではないでしょうか。今の世の中は贅沢な時代と言われ、いろんなものが満ち溢れていますが、心が貧しいせいか悲しいニュースが数多く報道されています。「自分さえよければ、他人が傷ついても関係ない」誰もが根本では、そんな考え方を持っているかもしれません。しかし、人を犠牲にしたらそれが巡り巡って、自分に返ってきます。幸せになりたかったら、周りの喜びを自分の喜びとし、幸せの種をたくさんまいて、幸福の花を咲かせたいものです。

三千人以上もの孤児を育ててきた十次先生は偉大であり、僕にはとても真似できそうにありませんが、その精神はしっかりと胸に刻まれています。

僕の夢は外国と日本との架け橋となるような仕事に就くことです。しかし、今の僕では、達成できるような夢ではありません。なぜなら、努力が足りないからです。十次先生は医師を目指し、猛勉強したり、子どもたちのために一生懸命、お金を集めたりしました。それができたのは、自分の歩むべき道をしっかり決め、目標を達成しようとする強い意志を持っていたからだと思います。これからを生きる僕たちには、たくさんの可能性があります。大人になった時に後悔しないよう、しっかり考え、人の為、自分の為に精一杯頑張れる人になりたいです。まずは、悩んでいる友達はいないか、困っている人はいないかと、身近な所から目を配り、みんなが笑っていられるよう、努めていく決意です。

僕の尊敬する石井十次先生のように…。

石井十次先生から学んだこと

高鍋農業高校3年 河野龍摩

私は唐瀬原中学校の出身です。児湯郡に住んでいれば、石井十次先生の事は、何かと耳にします。学校でも地域でも、すごい事をした人だと教えてくれます。でも私は、実はどんな事をした人かよく分かっていませんでした。今回、記念式典があると知り、図書室で本を読んだり、インターネットで調べてみました。そして、今私がなんとかしたいと思っている事を解決する力をもらいました。

私は今、生徒会役員として学校行事の企画運営に携わっています。

これまでにも私は「人のために何か役に立つ事がしたい」と思っていました。しかし、行動しようと思っても、なかなか実行できず、いつか機会があればと思っていました。そんなある日、私は電車で出かけていました。1人のおじいさんが乗車してきました。その日は休日だったこともあり、席はほとんど空いていませんでした。私は乗車ドアから離れたところに座っていたこともあり、心の中で「あのおじいさんに誰か席を譲ってあげないかな」と他人事のように思っていました。結局、おじいさんは座る事なく電車を降りて行きました。

この「他人事」のように考えてしまうのが、いつも私を後悔させます。やる気はあります。人の役に立ちたいと思っています。学校では進んで仕事も引き受けます。でも、知らない人と関わるとき、ふっと自分の中に閉じこもって一歩や踏み出せないでいるのです。席に座れず、ただ立っているしかなかったおじいさんを他人事として捉えてしまった自分を恥ずかしく思います。「あのとき、自分から立ち上がり、あのおじいさんに席を譲るほどの勇気があったら…」と思い返しましたが、過ぎてしまった事をやり直す事は出来ません。しかし、石井十次の行いからすれば、ぼんやりとした私の「いつか誰かのために」という想いなど、ただのいい人ごっこにすぎません。私はそれに気づきました。これからは、どんな場所にいても困っている人の気持ちになり、積極的に声をかけられる様になりたいと思います。

石井十次先生は将来を約束された医学の道を捨て、誰も試みなかった孤児院の創設に全てをかけ、社会福祉という言葉すらなかった時代に3000人もの子ども達を育て上げ、社会に送り出しました。強い意志があったからこそ、彼はそのような偉業を成し遂げる事が出来たのだと思います。

現代の日本では、児童虐待やいじめなど、子どもを取り巻く様々な社会問題が数多く発生しています。時代とともに、その内容は変わりますが、子ども達の苦しみや悲しみは変わりません。石井十次先生は、「密室教室」をはじめ、真剣に子ども達と向き合う努力を続けました。私もまず理想ではなく現実と向き合い、強い意志を持って自分に出来ることへと踏み出したいと思います。高校生活もあと1年です。生徒会役員として、みんなが楽しく充実した高校生活を送れるよう、一歩踏み込んだ悔いのいない活動をしていきます。そして、いつでも「人の役に立ちたい」という気持ちを持ち、困っている人に手を差し出し、助けを起こせるよう強く明るく穏やかな自分でいたいと思います。