石井十次先生に学ぶ
高鍋東小学校 五年 千手 愛佳

私たち高鍋町の偉人、石井十次先生のことは、社会の時間に学習し、たくさんのことを学びました。
十次先生はたくさんの孤児とくらし、自分たちが食べるものを作るための畑を、子ども達と一緒に作ったそうです。
人まかせにせず、自分も一緒に働いた十次先生の考えがえらいなあと思います。
十次先生は、朝晩学校を開いたことも社会で知りました。若者は、勉強することと、一生懸命働くことが大切だという願いをこめて開いたそうです。
私も家の手伝いをたくさんしています。勉強もです。少年団で、陸上も習い、スイミングにも通って体をきたえています。勉強と同じくらい習い事もがんばっています。これからの自分の夢をかなえるためにも、体をきたえ、どんな困難にも負けない力を持ちたいからです。
私の夢はじゅう医になることです。十次先生も「孤児のために」と考えたように、私も「動物たちのために」役に立つじゅう医になります。
十次先生が預かった子ども達は、千二百人をこえたと聞きました。そんなにたくさんの子ども達を預かったら、食べる物やねることを考えただけでも、想像がつきません。どれだけ、大変だったろうと思います。
一つのことをやりとげるということは、簡単なことではありません。私はきっと、途中であきらめてしまうかもしれません。そんな時は、十次先生のことを思い出そうと思います。
十次先生の言葉に、「為せよ 屈するなかれ 時重なれば その事 必ずならん」というものがあります。その言葉をいつも胸に、勉強に運動にはげんでいきたいと思います。
五年生になり、高学年としてはずかしくない行動をとらなくてはいけません。
学校の顔となり、六年生と一緒に東小学校の伝統を守っていきます。その伝統とは、「あいさつとろう下歩行」です。大きな声で笑顔であいさつをします。ろう下は右側を静かに歩きます。

また、東小では、仁・義・礼・智の四徳の心みがきも行っています。
仁  人を思いやる心

義  社会のきまりを守る心

礼  礼儀やマナーを大切にする心

智  学問にはげむ心

この四つを中心にして、東小を更にすばらしい学校にしていきたいです。
私の夢をかなえるために、そして、学校がよりよくなっていくために、石井十次先生の思いを胸にがんばります。

石井十次先生への手紙
高鍋西中学校 一年 樫原 隆人

十次先生は、人の声に耳をかたむけたり、手伝いを必死にしたり、他の人にはまねできないような色々なことを僕に教えて下さいました。
十次先生は、昔から人の役に立つため、医者になろうと頑張っていました。が、ある日、医学学校の実習中に、孤児を預かることになり、そのことで、たくさんの孤児が寺にいることを知ったのです。腹をすかせた孤児を救わなければならないと考えました。そのために医者になるという夢をあきらめ、孤児院を開くことを決意したのです。そして、孤児たちに自給自足の生活をさせるべく、食事の作り方から農業の仕方まで教えました。
このように、頼るところのない子どもたちの為に孤児院を作り、多くの孤児を救ったのです。
僕は、十次先生のように、人の役に立つために、周りに目を向けて、できることはないかと考えながら、今、生活しています。
例えば、自分の係以外の仕事を手伝ったり、家でも母が具合の悪い時に看病したり、自分でもできる家の仕事、学校の仕事など、自ら進んでしています。
僕は将来、保育士になって、たくさんの子どもたちの世話をしたいと思っています。そこで、保育士の仕事について図書館へ行って調べたり、いとこの子どもの世話をしたりしています。また、保育士さんの話を聞いたりして勉強もしています。
ぼくも、保育士の仕事を通して、十次先生のように人の役に立ちたいという夢をかなえるためにがんばっていきます。

石井十次先生から学んだこと
高鍋高校二年 竹尾古都里

石井十次先生が生きた時代、多くの飢餓や天災によって食糧難が起こり、孤児が急増した。今現在、私の周りには飢餓で苦しんでいる孤児がいたり食糧難があったりという現実はほとんどない。私は現在、高鍋高校で勉学に励んでいるが、西都出身のため、十次先生が何を成し遂げ、どんなことを確立したか、どれほど素晴らしい人なのか、高鍋高校の地域学習で石井記念友愛社を訪れた際に初めて知った。

十次先生は、生涯を孤児救済に捧げ、「児童福祉の父」と称された人物だ。48年という短い生涯の中で約3000人の子供たちに手を差し伸べ、岡山孤児院十二則という教育理念のもとに子どもたちを育てた。孤児院は少しずつ大きくなり、多いときで1200人もの子どもたちが暮していたという。十次先生は、子どものために「命を捨てて働かん」と、勇猛精進しながらその生涯を貫いた。先ほど述べたように、十次先生が生きたのは多くの飢餓や天災が起こった時代だった。私は、飢餓や天災と聞いたとき、はっきりこのようなものだとイメージすることができなかった。食糧がない、水も、住居も十分にないという状況が今の豊かな日本という国からでは想像もつかなかったからだ。しかし現在も世界では飢餓で苦しむ人がいると耳にしたことがあったので、実際はどうなのかを詳しく調べた。そしてその結果は、私の想像をはるかに超えていた。世界の人口は、約73億人であるが、その中で、果たしてどれくらいが飢餓人口か、皆さんはご存じだろうか。なんと、およそ8億人、つまり九人に一人が食料不足で今も苦しんでいるということになる。私は、この事実を知って驚愕した。そして、十次先生が生きた時代に日本ではこんなに悲惨な状況が事実としてあったのかと思うと、とてもやりきれない心持ちになった。またそれと同時に、十次先生がどれくらい強い気持ちで孤児を救済したいと思っていたのかを、はっきりと理解することができた。

現代の日本には物があふれ、何不自由なく暮らすことのできる環境がある。私もその中でこれから一生暮らしていくだろう。十次先生の人生、孤児のことを一心に考え歩んだその一歩一歩を先生自身は地道なものと感じられていたかもしれない。しかし、その小さな一歩が積み重なり、今も多くの人に伝えられる偉業となったのではないだろうか。また、私はその一歩一歩は現代の私たちにも受け継がれていると考える。今、昔の日本のような悲惨な現実があるのであれば、私たちが少しでも力になれることをしていきたい。

私はこの式典に出席させていただけたことに誇りを持っている。石井十次先生が歩んだ人生、過去の日本、そして現在の世界の状況を知り、自分が何をしていくべきかを考えるきっかけとなった。物があふれ、生きていけることが当たり前だという今日を意味のあるものとするために、高鍋町で学ぶ一生徒として広く社会に目を向け、考えて自分ができることを精一杯やり遂げていきたい。