第39回石井十次生誕記念式典では、町内の小中高校生3人が十次への思いを作文にまとめ、発表しました。その全文を紹介します。

高鍋東小学校 稲子田 柚綺

 私は、4年生の3学期に宮崎県の偉人について学びました。その中の一人に石井十次先生がいました。私は、教科書の内容を読んだ時に、「孤児を救うために一生をささげるなんてすごいな。」と、思いました。

  十次先生は、自分の夢であった医者になることよりも孤児を救うという別の道を選択しました。この決断力と思いやりの心は、子どもの時からあったそうです。

 7才の時のお話です。祭りのために新しい着物と帯を母が用意してくれました。ところが、十次先生は、縄の帯をして帰ってきたのです。

 十次先生は、「友達が粗末な着物とこの縄の帯のために、仲間はずれにされていたので、ぼくの帯と取りかえました。」と、言ったそうです。わずか7才で、自分の帯と取りかえるという決断をしました。このこのような行動は、かんたんにできる事ではありません。十次先生の決断力と思いやりの心は、母からしかられるとか母が悲しむいう思いよりも強かったのだと思いました。

 十次先生が22才から亡くなる48才までにお世話をした子どもの数は、2400人もいた
そうです。東小学校の人数の4倍近くの子どもたちのお世話をしたと聞いて、びっくりしました。そのためには、お金も必要になります。原野を開たくしてみんなの作物を作ったり、音楽隊を作って、きふ金を集めたりするなど努力をされたそうです。

  私は、孤児を救うことに一生をささげた決断力と思いやりの心を持っている十次先生を尊敬しています。人の気持ちを考えることが苦手な私にとって、十次先生は、人生のお手本です。このような方が私と同じ高鍋町に生まれ、育ったと聞いて、私は、心からほこりに思っています。よいと思うこと、人のためになると思うことを次から次に実行して、たよってくる人を親身になってお世話した石井十次先生の生き方を少しでも見習おうと思います。

 

石井十次先生の精神

高鍋西中学校 黒木 星馬

 みなさんは、「SDGs」というものを知っていますか。「SDGs」とは、国連が掲げる2030年までに国際社会が達成を目指すべき17の持続可能な開発目標のことです。最近は、テレビや新聞などのメディアで目にする機会が多くなりました。「SDGs」の17の目標の中には、過去に石井十次先生が行った孤児救済に関連するものが多くあります。

 例えば、1、「貧困をなくそう」や 2、「飢餓をゼロに」という目標です。現在、世界の中では「ストリートチルドレン」と呼ばれる、路上で生活したり、働いたりする子ども、若者が発展途上国を中心に多くいると言われています。なぜ、そんな子ども達がたくさんいるのでしょうか。その背景には、極度の貧困があると言われています。石井十次先生は、始め、医師を志していました。生涯を孤児救済に捧げることを決断し、医学書を燃やしました。そして、飢餓や震災が起る度に被災児を受け入れ、たくさんの子どもを預かり育てました。僕には到底真似できないことです。世界中で、路上で生活する子どもたちが増える中、その子たちを救うためには、石井十次先生の精神が必要になります。ですが、この世界の現状を変えたいと思っても自分一人ではできることに限りがあります。そのため、たくさんの人に今の世界の現状を知ってもらい、変えたいと思ってもらわなくてはなりません。石井十次先生も周りの人達を動かし、時に助けてもらいながら、孤児教育会の設立や茶臼原全面移転を成し遂げました。

 僕が、まずみんなに知ってもらい、実際に取り組んでほしいと思うのは、コマーシャルなどであるようなフードロスの削減です。一番身近なところで言えば、給食の残滓ゼロです。世界のどこかでは、食糧が足りなくなり飢餓がおこっているのに、あるところでは、食糧が余って捨てられるような世界ではおかしいと思いませんか。食糧以外でも、モノをムダにすることはあってはならないことです。これ以外でも私たちができる身近な取組はまだまだあります。また、それぞれの国で小さな取組や世界規模の大きな取組など様々な取組がすでにスタートしています。私たちみんなが一つ一つの課題を見付け、解決することが「ストリートチルドレン」のような、世界中の苦しむ人達を救うことにつながります。僕には、石井十次先生のような行動力はまだないけれど、石井十次先生が教えてくれた「福祉の精神」を心に留めて、自分の考えをもって、生活していこうと思います。そうすることで私の周囲の人へも同じ考え方をする人が増え、日本中、そして世界中へと「人を救う」気持ちが広がっていくと思います。

 

「人との繋がり」 

高鍋高等学校 猪野せせらぎ

 高校生活を送る中で、私は「人を助ける」とはどういう事なのか、よく考えます。幼少の頃はとにかく声をかける、手をさしのべる、話を聞くという風に、他人に対して振舞っていました。しかし、成長するにつれて、その優しさが常に受け入れられるものではないのだと実感しました。友達を助けていたつもりでも、他の人から「それはあの人の為にならない。」「それでは甘やかしているのと同じだ。」と言われることが度々ありました。その人を助けようとした行動がかえってその人の自発的な成長を阻むことになるのか、とその言葉が重く心にのしかかりました。そんな時、学校で高鍋の歴史について学習する機会がありあり、石井十次記念館を訪れました。そこで私は石井十次先生の生き方や信念を知りました。

 「天は父なり。人は同胞なれば、互いに相信じ、相愛すること。」

 自然を父と敬い、人間どうし信じ合い助け合い、互いに支えていこうという言葉を聞いた時、はっと気づかされました。どうして他人の言葉や評価を気にしているのだろうと。今、私が助けたいのは目の前にいる人なのだと。何をためらっていたのだろうと深く反省しました。十次先生は時代を越えても、私達を導いて下さっている事に尽きない感謝と尊敬の念を抱きました。

 先日、私は生徒会で足踏み式消毒液スタンドを作成しました。新型コロナウイルスの影響で、マスク着用・手指消毒が常識になりました。また学校生活も大きく変化し、大きな行事が次々と延期・中止となりました。私は生徒会長として、また一人の人間として、今、何が出来るのだろうと考えていました。

 すると、ある日、生徒会の顧問の先生が、「消毒液スタンドを作るのはどうかな?」と提案して下さいました。まさに今、自分に出来ることだと思い、生徒会のメンバーで木材を切り、釘を打ち、組み立て、完成させました。それを各棟に設置したところ、先生方や受験を控える3年生に喜ばれました。この様な状況だからこそ、人の為に動くこと、お互いに支え合う事が大切なのだと感じました。「ありがとう。」と声をかけてくれた先輩方や先生方の笑顔を見て、本当にやって良かったと心から思いました。当時、十字先生の活動への気持ちを支えたのも大勢の児童の無邪気な笑顔だったのではないだろうかと思いを馳せました。

 私が十次先生に最も感銘を受けた点は、孤児への平等な愛です。先生は岡山孤児院で、1200人の児童を育てられました。その中には、親に捨てられ心が荒んでしまった子や、障がいを持つ子もいたのではないかと思います。私の姉も障がいを持っています。特性として人が苦手で、大勢の人がいる場所や感情を抑える事が苦手です。姉は幼少の頃、パニックに陥ると冷静に考える事が出来ず、物を壊したり、その場から逃げ出したりする事がよくありました。初めは、そういった行動を取る姉に対して、どういう風に関わっていけば良いのか分からず、何度も衝突することがありました。色々な事で姉がパニックを起こすこともありました。しかし、両親はどんな時でも、姉を支えていました。そんな両親の姿勢を見て、私も姉に対してまっすぐ気持ちを伝えるようになりました。素直に自分の思いを言うことで、姉との心の距離が縮まりました。十次先生も私の両親と同じ様に、児童一人一人と、真剣に向き合われたのだろうなと思います。両親と十次先生の背中を重ね、先生の人徳の厚さを感じました。

  私には夢があります。それは、NGO(非営利組織)の一員になり世界に貢献することです。NGOとは、貧困・飢餓や紛争、環境破壊や災害など世界で起こっているさまざまな課題に、政府や国際機関とは異なる「民間」の立場から、利益を目的とせず取り組む市民団体です。社会的に弱い立場にある人も誰一人取り残したくない、そういう人達の思いでつくられた組織です。以前、学校で社会情勢を学習しました。その時に、世界に出て、石井十次先生と同じ様に多くの人を助けられる人になりたい、そう思うようになりました。最近ではパソコンや本を使って、情報収集をしたり、SDGs(持続可能な開発目標)に関するニュースを積極的に見たりしています。これからは相互支援がますます重要視される時代です。どんな困難があったとしても、人と人の繋がりがあれば乗り越えられる、私はそう信じています。

 「孤児のため 命を捨てて 働かん 永遠の眠りの床につくまで」

  石井十次先生が遺したこの言葉を心に留め、変わりゆく世界の中で強く、しなやかに生きていきたいと思います。